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命の恩人

2018/10/02

朝晩の冷え込みと日中との気温差に体調を崩しがちですが、いかがお過ごしでしょうか?

今回は私の命の恩人の先生の話を書きます。先生へのご供養としてお聞きください。

先日、関西医科大学の会報誌を見て、関西医大名誉教授の野呂幸枝先生が100歳で亡くなられたことを知りました。

私が3歳の時のことです。

風邪から意識がボーっとして元気がなくなりました。熱は微熱で大したことないと近くのクリニックで言われ続けていたそうです。
しかし、あまりにもボーっとしてぐったりしているので若い両親は関西医大香里病院小児科に直接受診しました。
大学病院なので患者さんはいっぱいだったのですが、ぐったりしている私を見てみなさん順番を自ら譲ってくれたそうです。

受診するなり即入院。
今夜が峠ですと言われ、両親は悲しみのどん底に突き落とされたとのことです。

それから過酷な治療の日々が始まりました。

2日に1回、白い服を着た人たちが部屋に入ってきて、母親が追い出され、体を押さえつけられて背中から痛い針を注射される。
この恐怖は意識の片隅に今でも残ってます。
私が注射ない時は隣の部屋で悲鳴が聞こえます。
同じ病気で入院していた男の子だそうです。

その間、母親は祈る思いで毎日リンゴを絞って飲ませてくれました。
何も食べれない私がリンゴ果汁はおいしそうに飲んだそうです。(奇跡のりんご果汁も参考にしてください)

父親は幼い弟を連れて石切神社に毎日お百度参りをしてくれました。

そして両親の願いが叶い、奇跡的に私は何の後遺症も無く退院することが出来ました。

そのときの主治医の先生が、野呂幸枝先生なのです。
私の命の恩人です。

それから野呂先生のことは両親からよく聞かされてました。
次第に私は野呂先生のように病気で苦しむ子供たちを助けたい、小児科医になりたいと思うようになりました。
救われた命、私には人の命を救う使命があるのではないかと感じました。

そして先生のおられる関西医大へ入学することが出来ました。
私は入学して野呂先生のところに行きました。ぎりぎり退官間際で会うことができました。
そして命を救ってくれたお礼、先生のように小児科医目指して関西医大に入学したことなどお話できました。
先生は成長した私を見てとても喜んでくれて私も本当にうれしかったです。

在学中はボランティアで長期入院の子供の勉強を教えていました。
卒業してからは小児科研修医として昼夜惜しまず働きその後に結婚。

子供が生まれてからは子育て優先として第一線からは外れましたが非常勤で小児医療には関わってきました。
子育てを通じて色々なことを学び、西洋医学では治せないこともあることを感じました。
開業してからは根本治療を目指して食事療法、東洋医学、バイオメディカル、波動医学などを実践しつつ赤ちゃんからお年寄りまで幅広い患者さんを診ております。

子育てをすることで本当に色々なことを学び、その経験が今の治療にかなり生かされていると思います。

そして、奇跡的に助かった命で今の人生を送れているのも野呂先生のおかげなのです。

一日も恩を忘れたことはありません。
その恩を今度は私が自分の患者さんたちに返したいと思い、日々診療と勉強に励む日々であります。

親愛なる野呂先生、有難うございました、そしてご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

 

春名令子

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